2016/10/23

ルイ・ロペス・デ・セグラとは一体何者なのか

ルイ・ロペス。チェスのオープニングの名称としては、最も有名なものの筆頭候補と言ってもいいと思います。そして、このオープニングが16世紀に活躍したチェスプレーヤー、ルイ・ロペス・デ・セグラ(Ruy López de Segura)の名前にちなむことも、よく知られている事実です。ところが、この人間のほうの「ルイ・ロペスさん」については、まとまった人物伝・人物評はあまり見かけません。

そもそも、ルイ・ロペスさんは生没年さえはっきりと特定されておらず、なかなか謎に満ちた人物なのです。英語やスペイン語で書かれた諸々の出典を当たると、「1530年頃」もしくは「1540年頃」に生まれたという記載が多い様子。没年も同じく「1580年頃」ということで正確なところは不明。彼の大活躍が記録されはじめるのが1560年辺りということから推測して、「だいたいこれくらい」という時期が分かっているだけなのが実際のところですね。

インターネット上の日本語の情報では、生年を「1530年」と断定しているものが大勢を占めていますが、これは研究者が記した「c. 1530」とか「c. 1540」とかいう記述が次々と引用され孫引きされているうちに、どこかで「c.」が抜け落ちてしまったのではないかと思われます。(この「c.」は「circa」の省略形で「~年頃」という意味で使われます。)正確さというのは、この情報に満ち溢れた世界の中でどんどん捻じ曲がっていってしまうもので、これはもうどうしようもないのでしょう。

他には……「ルイ・ロペスはカトリックの司祭で、後に司教になった」と紹介されることもありますが、これも少し疑ってかかったほうがいいように思います。もっとも、司祭(priest)であったことは諸々の記録からして間違いなさそうです。問題はその後彼が司教(bishop)になったかどうか。私は今のところ原典を見つけることができていません。そして、日本語の出典も英語の出典も、二次情報・三次情報になればなるほど「司教」というキーワードが登場するようになります。

そもそも司教と言ったら、カトリックの聖職者の中でもかなりの高位であるはず。今、世界中に約40万人の司祭がいる一方で、司教となるとほんの5,000人ほどらしいです。それぐらい違うわけですね。それに、ルイ・ロペスさんの出自はユダヤ系のディアスポラだと言われていて、カトリックに改宗した(もしくは改宗するふりをした)いわゆる「コンベルソ(converso)」であるとのことです。彼の場合は聖職者になったくらいですから、本当にカトリックを信仰するようになったとは想像できますが、それでも司教まで上り詰めるものでしょうか。

もちろん、「もし本当に司教になっていたとしてもおかしくはないかな」と思わせる節もないわけではありません。一つには、どうやらルイ・ロペスさんは時のスペイン国王、フェリペ2世とかなり懇意にしていたらしいということ。国王への聴罪(ゆるしの秘跡)を行っていたとかいう話もあります。

その一方で、「司教、すなわち『ビショップ』になった」というのは、もともとは「聖職者であるルイ・ロペスさんがチェスで大成した」ということを意味する一種のジョークだったのではないかという見方をする人もいるようです。だとしたらそもそも一体誰が言い出したことなのか、機会があればもっと詳しく調べてみたいものです。